お江戸の洗濯事情
夜、寝る前に江戸時代の時代小説を読んでいますが
洗濯をする場面があまり出てきません
長屋に住んでいるような人は持っていた着物の数も
わずかだったということですし
相当臭っていたんではないかと気になり
ネットで調べてみました
色々な階層の方がいたので
一概には言えませんが
長屋住まいの人たちは数日同じものを着ていたようです
女の人は腰巻きを付け、襦袢(じゅばん)を着ていたので
こちらは丸洗いができたので下着は結構洗っていたようです
それでも毎日ではなく何日か着て洗っていたようです
本当に着物の替えがなく着たきり雀という人もいたようです
下着は男の人は褌(ふんどし)を2~3枚持っていたようですが
毎日は洗っていなかったようです
女の人の着物の襟には半襟(はんえり)といって
黒の襟をかけているのを時代劇で見ますね
これは簡単に着物の襟の上から縫っているので
こまめに(?)洗うことは出来たでしょう
着物は季節ごとにほどいて水洗いをして
もう一度一枚の布の形に戻し
洗い張りをして
もう一度仕立て直すそうですが面倒ですね
傷んだ所は場所を変えたり
違う布に変えたりとテレビの時代劇で
継ぎ接ぎだらけの着物を着ている娘さんなどを見ることがあります
同じ布がなかったら、あるもので継ぎはぎするのも仕方ないですね
姉様かぶりをして布を板に貼り付けています
(こうしてシワを伸ばしていくのです)
もう一つのやり方が
伸子針(しんしばり)を反物の両端につけ
布を伸ばしていきます
(伸子針はヒゴのように細いものです)
(これは母がやっているのを見たことがあります)
今なら、そんな面倒なことと思いますが
その当時は当たりのことだったのでしょう
江戸時代には専門の洗濯屋さんもいたそうです
汚れ落としには無患子(むくろじ)の皮(?)、
さいかちの実(?)、(どんなものか分かりません?)
灰汁、石灰、米のとぎ汁などがよく使われていたということで
シャボン(石鹸)はすでにあったそうですが
普通の人は使っていなかったようですね
洗濯桶でもみ洗いをしていました
この頃にはまだ洗濯板はなかったのです
洗濯板は明治に入って外国から入ってきたのだそうです
昔の旅は歩きが基本なので
持ち物は少なかったでしょうから
下着以外は取り替えないんでしょう
私が子供だった頃
家に初めてローラー式の洗濯機が来たときの
母の喜びようを覚えています
昭和40年前後だったように思います
「洗濯が一番大変だった
人数が多いと本当にくたびれた!
男の人の服は重たいし、力仕事だったから
娘の頃に洗濯機があったら
男兄弟が多かったので(5人)助かったのに!」
と言っていたことを思い出します
洗濯機が出てくるまでは
洗うことも、脱水も大仕事だったようです
脱水機で絞ってしまうので今では簡単なことですが
その前まではたらいと洗濯板はセットでありました
私も学校を出て、就職して
6畳一間に小さな台所付きというアパートに住んでいたのですが
(トイレは部屋にありませんでした)
部屋の外の廊下に洗い場があって
たらいと洗濯板で洗っていました
(その頃の家賃は8,000円ぐらいでした、1971年か72年の頃です)
洗濯板
だから、洗濯の大変さは知っています
絞るのが大変でした
今、思い出すとなつかしいですが!
江戸時代は本当の断捨離生活ですね
そしてミニマリスト
必要なものしか持てないという
モノがないのだから仕方のない生活ですが